浦賀の歴史を訪ねて 
2013-3-15・PC101水上紀子 

≪新しい発見がわんさとあった! 
皆さんは自分が住んでいる町の事、その周辺の事をどの程度ご存知だろうか。恥ずかしながら、 
私は何も知らなかったことに気づかされた。 
 
浦賀駅のずぐ下が昔は川であったことや道にひっそりと佇む碑文に興味深く見入ることが出来た 
のも今回の企画者でもあり、ガイド役の小野田氏のお蔭である。 
 
高台から浦賀ドック跡を眺める。眼下には軍艦の建造や咸臨丸の修復も手掛けた第1号ドックの 
煉瓦の壁面が見える。昭和18年に建造され、大いに働いたであろう大きなクレーンが一基ポツ 
ンと立っているのが寂しさを倍増させる。 
コミュニティーセンターには江戸時代の街並みや奉行所等が再現されている。 
お白洲が3つもある浦賀奉行所。相模の国であった当時2番目に人口が多かったことも頷ける。 
その分、犯罪も多発したのかも知れない。 
 
≪浦賀の町は昔大都会だった?!≫ 
 
         
 
少し先にある西叶神社の彫刻には目を瞠る。本堂の前で手を合わせて直に帰ってはいけない。 
上を見上げ、格子天井の花鳥の彫り物を是非拝見すべき。では帰ろうと思うのはまだ早計。 
小野田氏に従い、ぞろぞろと本堂の裏手に。屋根を仰ぐとそこには相撲取りの彫り物が一同を 
見下ろしていた。 
 
少し先の奉行所跡は今、その面影もなく、アパート群が立ち並んでいた海鮮問屋あり、父親が 
彫った絵の少し先にはその息子が彫った鳳凰の彫り物が共に漆喰の壁に厳然として残っている 
街並み。保存の難しさと大切さが説明を伺いながらひしひしと伝わってくる。 
 
≪風光明媚な東京湾も江戸を守る防備の要だった≫ 
突然目の前に海が開ける。燈明堂だ。海岸に沿って細い道を進むとオリーブ畑が広がっている。 
その奥の山頂には砲台跡がある。燈明堂は東京湾の入り口に面している風光明媚な場所だ。 
船の出入りが頻繁にある。暖かく、穏やかな日差しを受け、東京湾を行き交う船を見ながら 
三々五々昼食。海風がなんと心地よいことか。 
 
渡船にて対岸の東叶神社に向かう。この渡船が運航している海域は公道である。道が無いめずら 
しい公道がここにもあった。江戸を守る為、遠い地で命を落とした会津藩士の墓や親族の墓が 
ある能満寺や西徳寺を見学し説明に聞き入る。 
 
≪満足度100%≫ 
途中、漁師さんに生わかめを譲って頂き、ご満悦の女性陣は1kの重さにもめげず意気揚々と 
帰路に着いた。参加者の満足げな笑顔が印象的であった。ゆったりとした歩調で、心地よく驚き 
に満ちた説明を伺いながらの1日を計画して下さった小野田氏に心から感謝を申し上げ、今回、 
残念ながら参加出来なかった皆様と共に又の企画を心待ちにしたい。 
写真集へ